ライトによって拓かれた大谷石文化の近代(1)/ 橋本 優子(宇都宮美術館専門学芸員)

  • カテゴリ_美術・デザイン

近代建築の四大巨匠といえば、ワルター・グロピウス、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエ、そしてフランク・ロイド・ライトが挙げられる。このうち、来日が数回に及び、わが国に複数の作品を遺したのは、アメリカ人のライト[1867~1959(慶応3~昭和34)年]だけだった。ライトの日本初訪問は1905(明治38)年で、この時は、わが国の古美術と美術工芸品の調査・収集、伝統的な建造物の探訪を主な目的としている。その後、1913~22(大正2~11)年の間、日米を何度か往復し、東京に事務所も設けて6つの国内案件を実現させた。

日本におけるライトの業績のなかで、最も意義深い建物は、1923(大正12)年に竣工の「旧・帝国ホテル ライト館」 1)であり、私たちの地域とも縁が深い。というのも「ライト館」は、近代建築としては初めて、意匠・構造の両面で大谷石を効果的に用い、この類稀な作品なくして「大谷石文化の本質」は、国内外の人々に可視化・共有されなかったからだ。

往年の姿をとどめる「自由学園 明日館」 2)[竣工1921~25(大正10~14)年]、「旧・山邑家住宅」 3)[竣工1924(大正13)年]もまた、それぞれの用途に見合った独自な様式の名作と評せられ、「ライト館」と同じ採掘場の石が使われた。ライトの片腕だった遠藤 新(あらた)の「自由学園 講堂」 4)[竣工1927(昭和2)年]についても同様である。これらの現場に供した石山こそ、今から100年前の1919(大正8)年、つまり「ライト館」の着工とともに拓かれた「旧・東野(とうや)採掘場」 5)に他ならず、大谷地区では「ホテル山」という名称でも知られてきた。

ライトがいかにして大谷石を見出し、採用するに至ったかは、類推の域を出ない部分も多い。だが、少なくともわが国の凝灰岩(ぎょうかいがん) 6)に魅了され、その特質を「近代の精神」と融合させたのは確かと言える。

興味深いのは、ライトは当初、大谷石ではなく、「菩提石(ぼだいいし)」という別の凝灰岩を「ライト館」の石材として思い描いた点だ。かつて石川県江沼郡那谷村菩提(えぬまぐんなたにむらぼだい)  7)に産し、暗褐色もしくは黄褐色の素地に、無数の黒い孔が不規則に並ぶ武骨な石で、あたかも蜂の巣を思わせるため、「蜂ノ巣石(はちのすいし)」とも称された。大谷石と同様、当時の実用的な専門書『本邦産建築石材』 8)で取り上げられ、その記述を読むと、同じ凝灰岩でありながら、両者はかなり異質なことがよく分かる。

本書の編纂が大蔵省により、1921(大正10)年に発行されたところにも留意されたい。すなわち、竣工から二ヶ月も経たないうち仮議事堂が炎上[1891(明治24)年]、激動する世の中に翻弄されたまま、計画が頓挫してきた国会議事堂 9)[竣工1936(昭和11)]の建設に向けて、国を挙げて行われた石調べの成果がこの本だった。調査は1908~12(明治41~大正1)年の四年に及び、その報告・分析となる本書は、石材の性質、産地の状況、化学的・物理的な試験結果に加えて、豊富な図表と画像を収録し、微に入り細をうがった内容を呈する。

集められた資料は、帝国ホテルの仕事で来日を重ねたライトの耳目に触れる。石材サンプルを含め、国家機密にも等しい情報の密かな提供者は、ライトの起用に奔走した帝国ホテル総支配人・林愛作(はやしあいさく)だったという。その頃の帝国ホテルは、劣化・古めかしさが拭えない旧館 10)[竣工1890(明治23)年]を補完する建物の必要に迫られ、かつ新館[ライト館]の工事が始まった1919(大正8)年に別館 11)[竣工1916(大正5)年]、三年後の1922(大正11)年には旧館まで灰燼に帰す奇禍が続く。よって、議事堂と同じく「国の顔」となる施設の実現を目ざし、ライトに図られた内々での便宜は疑いようもない。

ともあれライトは、西洋建築で多用され、わが国にも産する花崗岩(かこうがん) 12)や大理石(だいりせき) 13)を選ばず、これらに比べると軟質・軽量、脆弱だが採掘・加工が容易で、大小の孔や粒子、斑などを有し、ざらざらとした、あるいは粉っぽい質感の凝灰岩に目を向けたのだった。換言すると、石よりも土に近い特性、素朴な味わい、日本各地で採れ、種類に富むこと、産地に於ける土着的な利用――地域文化との接点、ひいては「日本らしさ」に惹かれた、として良いだろう。

菩提石から大谷石への変更は、実際的な理由に負うところが大きい。まさに1919(大正8)年の政府調査 14)によると、菩提石を1とするならば、大谷石は坑区面積で70倍、総埋蔵量6,000倍、年産出量6,250~7,143倍、従業員数18倍、また、産地から東京までの輸送距離・手段も、前者は菩提村~荷馬車8km~北陸本線「動橋(いぶりばし)駅」~官営鉄道580km~旧・山手貨物線「大崎駅」、後者が「立岩(たていわ)駅」「荒針(あらはり)駅」~宇都宮石材軌道・軽便鉄道9.2km~日光線「鶴田駅」~官営鉄道120km~旧・山手貨物線「大崎駅」と、大谷石の利点は言わずもがなである。

ライトによる大谷石建造物は、こうして世相・産業面の「日本近代」とも不可分の関係で生み出された。――その意匠と構造、影響力は、次回の連載で考察する。

(注)
1. 玄関部分を移築・公開。国登録有形文化財「博物館明治村 帝国ホテル玄関」、愛知県犬山市内山。
2. 現存・公開。国指定重要文化財「自由学園 明日館」、東京都豊島区西池袋。
3. 現存・公開。国指定重要文化財「ヨドコウ迎賓館」、兵庫県芦屋市山手町。
4. 現存・公開。国指定重要文化財「自由学園 講堂」、東京都豊島区西池袋。
5. 現在は廃坑・非公開。栃木県宇都宮市田下町。
6. 大分類では、火山に由来しない岩石片、マグマ以外の火山噴出物、生物の遺骸・破片、化学成分、これらの混合物が水中や地上で沈積・固結した「堆積岩(たいせきがん)」、中分類は、マグマ以外の火山噴出物が堆積した「火山砕屑岩(かざんさいせつがん)」、このうち火山灰や軽石(かるいし)がゆっくりと圧し固まった岩石を指す[岩石>堆積岩>火山砕屑岩>凝灰岩]。
7. 現在の石川県小松市菩提町。
8. 『本邦産建築石材』(大蔵省臨時議員建築局, 1921年)
9. 現存・公開(現・国会議事堂)。設計=大蔵省臨時議院建築局、東京都千代田区永田町。
10. 旧・帝国ホテル 本館(焼失)、設計=渡辺 譲(ゆずる)。
11. 旧・帝国ホテル 別館(焼失)、設計=フランク・ロイド・ライト。
12. 大分類では、マグマが冷えて固まった「火成岩(かせいがん)」、中分類は、マグマが地下の深い場所でゆっくりと固まった「深成岩(しんせいがん)」、このうち石英(せきえい)と長石(ちょうせき)を主成分とする岩石を指す[岩石>火成岩>深成岩>花崗岩]。国産の石材としては、御影石(みかげいし)[兵庫県神戸市]、稲田石(いなだいし)[茨城県笠間市]などが知られ、堅牢で磨くと光沢を示す。
13. 大分類では、マグマの熱、高圧や高熱で変成した「変成岩(へんせいがん)」、中分類は、浅い地下でマグマの熱変成作用を受けた「接触変成岩」、このうち炭酸カルシウムの沈積・固結による堆積岩[注6参照]の石灰岩が、熱変成により再結晶化した岩石を指す[岩石>変成岩>接触変成岩>大理石]。国内では、岐阜県大垣市や山口県美祢(みね)市で採れ、緻密で磨くと光沢を示す。
14. 『本邦産建築石材』[注8]に基づく。


フランク・ロイド・ライト「旧・帝国ホテルライト館」写真集『帝国ホテル』より,正面中央入口/撮影1923/宇都宮美術館蔵


旧・東野採掘場。山の神の石祠の後ろに,かつての石山の名残を眺める筆者撮影/栃木県宇都宮市田下町


[左]菩提石[右]大谷石(荒目)筆者採集・撮影/採集地:石川県小松市菩提町(菩提石)栃木県宇都宮市大谷町(大谷石)


大正時代の大谷風景『本邦産建築石材』より,栃木県大谷石産地 撮影1915~19年頃/宇都宮美術館蔵


》 PDF版のダウンロードはこちら