旧帝国ホテル・ライト館に、F.L.ライトが使用して以来、大谷石の付加価値は一気に高まり、諸々の公共建築、商業建築、教会建築等に使用されるようになった。ただし、組積造(積み石造り)でなく、鉄筋コンクリート造の張り石工法によるものが多かった。
そして、大谷石建築の全盛期は、昭和に入って戦前までであろう。戦後の高度成長期には、工業生産による新建材が台頭し、安価で作業性の良い製品に建築業界はシフトして行く事になる。その後の大谷石の活路は、宅地造成、石塀築造等に見い出し、大谷町にとって全盛期を迎える。ピーク時の1973(昭和48)年の採掘量が89万トンで、金額が約100億円、約100軒の採掘業者がいて、多い時で約2,500人の石材業関係の従事者がいたそうである。2015(平成27)年の採掘量は、1.22万トン、採掘業者6社、大谷石材協同組合の加盟会社は21社ということである。2010(平成22)年が底だったそうで、今は業界従事者も増え、受注量も全体に増えてきたようである。
日本全体を見ると、閉山に追い込まれた凝灰岩等の採掘場が多く、続いているところでもせいぜい採掘業者は1~2社くらいのようである。
ニシン漁で賑わった小樽の街の倉庫群や北海道開拓時代の建築群を支えた「小樽軟石」や「札幌軟石」は1社、温泉旅館やゴルフ場等の大浴場に多く使用されている「十和田石(秋田県)」も1社、国会議事堂の廊下や旧甲子園ホテル(現武庫川女子大学)」使用されている「日華石(石川県小松市)」は3社、「白河石(福島県白河市)」は1社、姫路城の石垣に使用された「竜山石(兵庫県)」も1社で採掘している。
多くの酒蔵に使用された「塩竈石(宮城県)」、上杉家の墓石や上杉神社の境内の敷石や橋に使用された「高畠石(山形県)」、「藪塚石(群馬県太田市)」、横浜や横須賀の湾岸工事や河川工事、山の手地区の高級住宅地の擁壁に使用された「房州石(千葉県富津市)」、同じ砂岩系の「鎌倉石」、伊豆半島周辺で産出した「伊豆石(静岡県)」、城の石垣や石屋根瓦、北前船で日本海側の港周辺で使用された「笏谷石(福井県)」等はすでに採算性等を理由に閉山されている。
そんな中、大谷石は大変貴重な天然の素材であり、加工性も良く、地の利にも恵まれ、埋蔵量も豊富であることから、明るい未来があるのではないだろうか。
宇都宮市や栃木県では、県産材の大谷石を建物に使うと補助金が出る助成制度があり、これが大変人気で市民、県民の生活文化に寄与している。また、宇都宮市では、中心部の石蔵を活用し、店舗(カフェ、レストラン等)に用途変更して街の活性化に寄与すべく多額の補助金が支給される。しかし、ごく限られた中心部であるため数が限られ何とも残念である。日本遺産に認定されたこの機会に、もう少し範囲を周辺部まで広げていただけると有り難い。この10年に中心部、周辺部の石蔵が15%程解体され消滅している。活用可能な石蔵が周辺部に多く存在していることを宇都宮市は認識して欲しい。
大谷石は、色彩的に非常に地味であり、採掘時から時間と共に色合いが変化していく特質があり、柔らかさ、温かみ、多孔質でミソがある独特の風合いを持っている。
最近は、使い手(設計者等)がいろいろ工夫するようになり、外壁等に使う場合、石の重量感を軽減すべくグリット状に積んだり、スリットを入れ奥行き感を持たせたり、他の素材との組み合わせにより石を引き立たせたり、樹木(特に竹)等とのコラボレーションにより「風のそよぎ感」を演出するなど多様なデザインが創出されている。
また、ラフな石肌(特に手掘り時代のつるはしの跡)をライトアップすることにより独特の奮囲気を醸し出し、さらに付加価値を高めている。
2017(平成29)年10月、小田原市の海辺の山中に、現代美術作家の杉本博司氏による美術館「江之浦測候所」が出来上がった。全長100mにも及ぶ壁(内外とも30cmの大谷石の原石)を積み上げ、間口3m程度、片面は全面ガラスのみ、建物の軸線は海に向かい、夏至の時の日の出に合わせたという。その設計コンセプトもさることながら、大谷石の重量感のある迫力に度肝を抜かれる思いがした。世界に名だたる現代美術作家杉本氏が「大谷石」を選んだということである。やはり、「ヴァナキュラー(土着的)でグローバルな素材」として「大谷石」を選んだのである。
今、大谷石は、県内はもとより関東首都圏をはじめ全国まで、さらにはニューヨーク、上海、香港、ソウル、パリ等世界に販路を拡げている。これは、日本人が世界の主要都市に高級飲食店や店舗を出店する際に店の内外装材として「大谷石」を選択するという事である。まさに「日本代表の天然の素材」と言えよう。