そして大谷は―その(1) / 塩田 潔(NPO法人 大谷石研究会理事長)

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大谷にとって、根幹は大谷石産業であろう。

810(弘仁元)年、弘法大師によって開基された大谷寺、国の特別史跡・重要文化財の磨崖仏があり、今も坂東三十三ヶ所観音霊場第十九番札所として賑わいを見せている。

その周辺に集落ができたと考えられるが、古墳時代から切り出したと言われる大谷石の採掘の歴史が、今日の大谷の街の形態(景観を含め)を創ってきたと言えるだろう。大谷という街から幾千、幾万という大谷石が建築や土木の素材として産出され全国各地に運ばれ、それぞれの地域で石の文化を形成し、日本の近代化を支えてきた。そして繰り返し述べてきたが、F.L.ライトが旧帝国ホテルに大谷石を使用することで、日本の建築の近代化に大いに寄与することになり、素材としての付加価値が一気に高まることになるのである。また、前述したように日本全国の凝灰岩等軟石の産出する地域を見ても、「大谷」程の産地は他に見当たらないのである。

そのような意味からも、今の大谷石産業があるのはF.L.ライトのお陰といっても過言ではあるまい。では、地元大谷では、どれだけF.L.ライトを顕彰しているか、リスペクトされているか甚だ疑問である。

「F.L.ライト」あるいは「旧帝国ホテル」に纏(まつ)わるものと言えば、当時石を切り出した「東谷石材」跡の「ホテル山」がひっそりと残っているのと、更田時蔵設計の旧大谷公会堂(移築保存活用されることになった)のデザインに「ライト風」が遺されていること、大谷資料館から国道293号線に抜ける途中のポケットパークに、これもひっそりと旧帝国ホテルのポルト・コシェ前の「オブジェとライトの壺」が再現されていることである。また、文星芸大の上野記念館に当時の教授で陶芸家の林香君氏が伊奈製陶(現LIXIL)から譲り受けたテラコッタと大谷石で再現した「光の篭」の2/3のモデルが展示してある。

それぞれがバラバラに存在し、残念ながら何の繋がりも持っていないのである。

今回、日本遺産に登録になったのを機会に大谷町の将来像を、短期的(1~5年)、中期的(10~20年)、長期的(30~50年)計画をしっかりと立て、事業を遂行していくべきであろう。先ずはインフラ整備。メイン道路が狭くて危険である。歩車道を分離し、歩行者(住民及び観光客)の安全を確保することである。現道路ではスペースがないので姿川の整備を兼ねて遊歩道(姿川も狭いし、民家もあるのでひと工夫必要)を設けること。市営駐車場へのアクセスを複数にすること(できればもう一か所公営駐車場が欲しい)。「景観公園」「奇岩群」のガードレールを工夫すること。「公衆トイレ」「消防分団」は、目立たない箇所へ移築すること。奇岩群付近の民地はなるべく借り入れ整備できれば景観がさらに活きる。「ホテル山」は保全し、旧帝国ホテルやF.L.ライトとの関係を十分に伝わる「仕組み」を考えること。景観のビューポイントを出来るだけ発掘し、それぞれの特徴を十分に堪能出来るよう空間整備をし、回遊性を持たせること。ある区間に「人車軌道」を再現し、人を乗せて楽しんでもらうこと。将来的にはLRTを大谷まで伸延し(日光線文挟駅まで伸ばし、日光観光にリンクさせるのが理想)、「人車軌道」に繋ぐ。

今、大谷資料館への入館者数が年間46万人(平成30年)だそうである。宇都宮市は将来、大谷への観光客数を120万人程見込んでいる。大谷スマートインターチェンジが完成し、インバウンド客が見込めれば不可能な数字ではないかもしれない。しかし、「大谷資料館」オンリーの施設では、たとえ飲食店が数軒増えたとしても対応しきれず、大谷の街が機能不全に陥ってしまうだろう。

今、大谷は何を目指すのか。大谷にとって何が必要なのか。早急に議論し、対策をとるべきだろう。幾多の観光地が、繁栄、衰退の歴史を繰り返してきた。世界遺産に登録され喜び勇んでいた地域が、今悲惨な状況にあるところが幾多もあると聞く。

これからの大谷には「未来」があり、「世界の大谷」になるポテンシャルがあると、世界を見てきた多くの人たちが評価を下す。「世界の大谷」になるには、「大谷資料館」に負けない少なくとも「もう一つの目玉になるスポット」がなくてはならない。

それは、大谷に欠けているもの、前述した「F.L.ライト」を顕彰する施設である。「旧帝国ホテル・ライト館」や「F.L.ライト」との関係性を出来るだけ盛り込んだ館(やかた)を創ることである。


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