大谷石の文化―未来へ /塩田 潔(NPO法人大谷石研究会理事長)

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大谷石の文化が日本遺産に認定された記念に「石のまち宇都宮シンポジウム」が、令和元年12月14日(土)に宇都宮文化会館小ホールで、宇都宮市大谷石文化推進協議会の主催で約300名の参加のもと開催された。基調講演は、文化庁の中島允伸氏及び江戸東京博物館館長で建築家・歴史学者の藤森照信氏が講演された。

後半の部のパネルディスカッションには、全国から「観音下石(日華石)」等の産地石川県小松市、「北木石(花崗岩)」の産地兵庫県笠岡市、「札幌軟石」の産地札幌市、「房州石」の産地千葉県富津市からの報告があった。今回は特に大谷石研究会と交流のある「札幌軟石」と「房州石」に関して述べたい。

全国の軟石文化との交流

先ず、「札幌軟石及び小樽軟石を巡る研修会」を当研究会は、令和元年6月に行い、「札幌軟石ネットワーク」代表の佐藤俊義氏及び「札幌建築鑑賞会」代表の杉浦正人氏等の案内で札幌軟石及び小樽軟石文化を堪能して来た。それぞれに明治になって北海道開拓の歴史と共に歩み、その頃造られた多くの石蔵が活用され観光資源になっている。

石蔵の規模は業務用として造られたのが多く、宇都宮周辺の石蔵とは比較にならないくらい大きい。札幌軟石を今も採掘しているのは、辻石材工業(代表・辻昌之氏)一社であるが、造園設計会社を主宰している佐藤氏と共に手掛けた採掘場跡地の公園は、ふんだんに札幌軟石を使い、見事な景観を呈している。

石造りの旧郵便局を活用して「軟石や」というかなり賑わいを見せているカフェを営んでいる小原恵氏、小樽軟石の歴史的建物を案内していただいた小樽市博物館の大鐘卓哉氏共に皆々「熱い人々」だった。

その人達が札幌市副市長等を含めこぞって、今回の「石のまち宇都宮シンポジウム」にやって来てくれた事が何と言ってもうれしい限りであった。シンポジウム前日は、当研究会メンターとの交流会(前夜祭)を「おしゃらく※1」 にて開催し、当日は佐藤氏が「北海道の産業とくらしを支えた石文化」と題しての報告があった。翌日は「石のまち宇都宮を巡るエクスカーション」を行い、北海道の方々を含め、千葉、埼玉、伊豆石の石蔵の調査をした静岡県建築士会西部ブロックの方々を筆者が案内させていただいた。

案内をしながら「大谷石」がこれほど「誇れる石」だったかと今更ながら思えてくる。

本当に「大谷石」がこの地に有って良かったと思う。

あわせて富津市の「房州石」、これはかつて教科書にも出てきた「鋸山(のこぎりやま)」で有名である。採掘は、昭和60年で終了しているが、江戸時代から約300年続き、特に幕末から明治にかけて日本の国防や近代化に、横浜や横須賀等の湾岸整備に寄与してきた。また、横浜の山手地区の高級住宅地の擁壁等に多く使われていたが、大谷石の台頭で衰退していったようだ。

今回「鋸山~天空の石切り場~」と題し、報告していただいた金谷ストーンコミュニティの鈴木裕士氏は、最後まで採掘されていた「丁場」の所有者であり、自ら美術館も主宰されている。毎年のように「房州石」の文化を伝えるべくシンポジウムを開催され、令和2年で11回を迎えるに至った。数年前に当研究会会員の安森亮雄氏(当時宇都宮大学准教授・現千葉大学教授)がパネリストとして、また我々研究会からも数名シンポジウムに参加し交流を計った。今回、日本遺産にも認定申請されていたようだが、残念ながら認定されなかった。また千葉県が、令和元年の台風15号、19号で甚大な被害を被ったにも関わらず、「石のまち宇都宮シンポジウム」に参加していただいた事にあらためて敬意を表したい。しかし、このような事にもめげず、「房州石」の文化の継承及び「鋸山の観光」を目指し、シンポジウムは継続されることであろう。

その他、山形県の「高畠石」の産地、高畠町では、「全国石工サミット㏌高畠」と題し、東北芸術工科大学の考古学教授北野博司氏が中心となり、毎年のように開催している。これにもかつて参加し交流を計った。「高畠石」は、「旧高畑駅舎」や米沢市の山形大学工学部の校舎の基礎石、石塀及び上杉神社や上杉家重臣の墳墓にふんだんに使われている。

これから交流を計っていきたい石の産地は数多くあるが、関係者がシンポジウムに参加していただいた石川県の「観音下石(日華石)」、静岡県の「伊豆石※2」 、福井県の「笏谷石※3」 等、それぞれに調査や軟石文化を継承しようとするグループがあれば、ネットワーク創りと共に交流を全国展開したいと思っている。

大谷石文化、アカデミックなアプローチ

当研究会では、2012年に宇都宮市より「景観整備機構」の認定を受けたのを機会に市周辺部の街道沿いに集積した石蔵等の調査を宇都宮大学の安森亮雄研究室と協働で継続的に行ってきた。その中で、学部学生及び大学院生として「大谷石」を研究してきた小林基澄氏が博士号を取得し、令和2年8月より、小山工業高等専門学校の助教として赴任し、継続して「大谷石」関係の研究を続けると言う。また、千葉大学に転任された安森氏も「大谷石」は、継続研究テーマである。

宇都宮大学の安森氏の後任の遠藤康一氏(講師)も研究会会員になり、以前から在任の大嶽陽徳氏(助教)と共に、宇都宮大学として新たに「大谷石」の研究テーマを模索している。数年前に会員となった宇都宮共和大学の西山弘泰氏(専任講師)も地理学が専門ではあるが、分野に捉われない切り口で「大谷」や「大谷石」をテーマにゼミを開催してくれており、大谷での諸々のイベントに汗をかいている。

それに、異色の会員は、東京大学工学部都市工学科の大学院生であり、「うつのみや市政研究センター」にも籍を置く、三浦魁斗氏も研究テーマを「大谷石」にしており、あのキャンパスにも大谷石の風を吹かせようとしている。

それだけでなく、令和2年になり、宇都宮工業高校(校長菅野光広氏)の建築デザイン科(科長五十嵐忠彦氏)の生徒達(研究グループ)が大谷石建造物の調査を、研究会の指導のもと行うことになり、手始めに大谷石張りの長屋門の調査を大谷地区で行った。

このような若い世代が、地域の資源である「大谷石」がどのように使われ、生活を支えてきたかを調査するという事は大変意義のあることである。

このように「大谷石文化」が、高校、大学を含め、「教育の場」で盛んに取り上げられるようになり、体系化されていこうとしている事は大変素晴らしいことである。

大谷石研究会が設立されてから、令和3年度で20周年を迎える。それを記念して第2弾の写真集「大谷石、未来へ」を刊行すべく準備中である。

日本の軟石文化を擁している地域とのネットワーク創り、そして交流を計る事、一方ではよりアカデミックな分野の展開がなされ、今でも採掘されている「大谷石産業」と共に、まだまだ未開拓の分野のある魅力的な「大谷石文化」の「明るい未来」が見えてきている。

 

[※1] 大谷石の石蔵をリノベーションしたダイニング・バー
[※2] 静岡県建築士会西部ブロックまちづくり委員会が天竜川沿いの石蔵の調査を行っている。
[※3] 調査グループの動きがある。


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