農村集落における大谷石の町並みと建物の類型学 / 安森 亮雄(千葉大学大学院工学研究院教授)

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農村集落における大谷石の町並み

大谷石が産出する宇都宮市内には、石で作られた建物が多くみられる 注1)。特に、市北部の農村集落では、農業用途で蔵や納屋が日常的に使われたことで、石の建物と石塀が連続する町並みが形成されてきた。こうした大谷石の建物が集中する地区(図1)について、宇都宮大学安森研究室とNPO法人大谷石研究会は共同で、2012年から実地調査してきた文2,3,4)。

まず、徳次郎町西根地区(図2,3)は、旧日光街道の徳次郎宿をなす6ヶ郷のひとつであり、かつて大谷石と同じ凝灰岩の一種である「徳次郎石」(とくじらいし)が産出した。宇都宮市近辺の凝灰岩を総称して「大谷石」と言うこともあるが、大谷以外では地区ごとに呼び名があり、材質もそれぞれ特徴がある。徳次郎石は、大谷石に特有の斑点状の「ミソ」が無く、青みがかり、均質で細工に適しているため、彫刻や石瓦などに重宝された。かつては、多くの住民が農閑期に石工や採石業を営み、また、火災が多く発生したため、防火性の高い石造の建物が普及し、石の町並みが形成された 注2)。


図1 宇都宮市内の大谷石建物が集中する地区


図2 徳次郎町西根地区の町並み

次に、上田(うわだ)地区(図3)は、宇都宮市と合併した旧上河内町にあり、西鬼怒川の支流である御用川から用水を引いて江戸時代に新田開発された農村集落である。昭和期に農地が拡大したことで豊かになり、主に昭和30年代に競うように石塀や石蔵が建てられた。街道の両側に水路が流れ、家々は石塀に川端と呼ばれる小さな入口を設けて生活用水として利用していた。こうして、ゆとりのある街道幅の両側に、石蔵、石塀、水路が連続する町並みが形成された。

その近隣にある芦沼地区(図3)は、鬼怒川の浸食作用により形成された河岸段丘に沿って形成された農村集落である。鬼怒川がもたらす肥沃な土壌と豊富な湧き水を用いて稲作が盛んに行われ、江戸時代には有数の米所として、宇都宮藩の献上米の産地であった。日光連山や羽黒山から吹き込む風を避けるために、高低差が5〜7mある河岸段丘の下に集落が発達し、小さな街道沿いに高密な町並みが形成された 注3)。


図3 農村集落の連続立面図と断面図

張石と積石、蔵と納屋

こうした町並みを構成する大谷石の建物には、構法や、規模、用途などに様々な特徴がみられる。

まず、建物の構法は、大きく「張石」(はりいし)と「積石」(つみいし)に分けられる。「石造の建物」と聞くと、現在では、石を積む組積造(そせきぞう)を思い浮かべるが、江戸後期から大正初期までの古い石蔵は、木造の軸組に石を張った「張石」である。我が国には、昔から簡素な木造の板蔵があったが、江戸後期になると、防火性を高めるために、土や漆喰を外壁に塗った土蔵が出現する。宇都宮近辺では、防火性に優れた大谷石を張ったのが、石蔵の起源である。通常2〜3寸程度の薄板が鉄釘で留められている。

これに対して「積石」は、明治の近代化以降、西洋のレンガ造や石造の建物が輸入され、輸送手段が発達してからのもので、主に大正期以降に見られる。高さ1尺、長さ3尺が定尺で、厚さは使用箇所に応じて5寸(五十石:ごとういし)から1尺(尺角、しゃっかく)までを用い、この寸法で石切場にて整形掘りされるのが、軟らかい大谷石の特徴である。

また、建物の階数は、平屋と2階建てに分けられる。建物の用途は、石造の堅牢性や防火性から、収納用途に用いられることが多く、「蔵」は、財産を収めるために鉄製や石製の扉が付き普段は閉じられているもので、「納屋」は、農機具置き場や農作業のために半外部として使われるものである。また、数は少ないが、大谷石で作られた「住宅」や「離れ」などの居住用途もみられる。

 

大谷石の建物の類型学(タイポロジー)

これらの特徴が共通するものとして、大谷石の建物の類型(タイプ)が見えてくる(図4)。

まず、「2階建て組積造石蔵」は、明治後期から大正初期の古いものが多く、屋根が石瓦で葺かれたものが各地区に数棟ずつ現存する。こうした古い蔵は、敷地の奥にあり、奥行きのある町並みを形成する。西根地区では、石の産地ならではの特徴として、大谷石を張った「2階建て張石住宅」がみられる。

稀少な張石の建物に対して、積石は数多く存在する。なかでも「平屋積石納屋」は、宇都宮近辺で「雨屋」(あまや)と呼ばれるものもあり、間口が広く、大きな庇を張り出し、農作業などで半外部的に用いられてきた。

また、「2階建て組積造蔵」は、最も一般的な石蔵である。石を積む構法が石塀と同じであるため、しばしば塀と建物が一体的に作られ、石造の連続的な町並みが形成された。蔵は一種のステータスであるため、窓周りに吉祥図などの凝った装飾を施すものもある。

上田地区や芦沼地区などの地域では、昭和半ばの農地拡大期に、用途に応じて大小様々な積石の建物が建てられた。稲藁の灰などを入れる小規模な「小屋」から、農業機械を収納するための大規模化した納屋、また蔵と納屋が界壁で一体化したり、納屋の2階が離れとなっている「複合型」もみられる。

このような地区や時期に応じた大谷石建物の類型(タイプ)は、地域の暮らしや生業の中で時間をかけて形づくられてきたものである。こうした建物の類型学(タイポロジー)は、私たちが現在見ている建物の特徴から、それが出来た背景や仕組みを読み解き、人々によって生きられた空間と時間を、もう一度立ち上げる作業といえる。


図4 農村集落における大谷石建物の類型(タイプ)


注1)本稿は、参考文献1に所蔵の拙稿の一部を再構成および加筆したものである。
注2)徳次郎町西根の町並みは、日本遺産「大谷石文化が息づくまち宇都宮」の構成要素のひとつであり、また、うつのみや百景にも選定されている。
注3)上田地区および芦沼地区の町並みも、日本遺産の構成要素であり、また、ともに宇都宮市まちなみ景観賞に選定されている。

参考文献
1)日本遺跡学会監修,安森亮雄(担当執筆):産業発展と石切場 全国の採石遺構を文化遺産へ,戎光祥出版,pp.43-57(栃木県宇都宮市の大谷石-産業・建築・地域における生きられた素材),2019.5
2)安森亮雄:大谷石建物と町並みに関する類型学的研究-宇都宮市徳次郎町西根地区を事例として-,日本建築学会計画系論文集,第740号,pp.2733-2740,2017.10
3)小林基澄,安森亮雄,二瓶賢人:大谷石建物と町並みの調査と類型分析 -宇都宮市上田地区を事例として-,日本建築学会技術報告集,第56号,pp.421-426,2018.2
4)二瓶賢人,安森亮雄,小林基澄:大谷石建物群の町並み調査と建物の類型分析 -宇都宮市西芦沼地区を事例として-,日本建築学会技術報告集,第57号,pp.1267-1712,2018.10


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