大谷石建造物の装飾のデザイン – 石蔵と建築家のデザインの系譜 /大嶽陽徳(宇都宮大学地域デザイン科学部助教)

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宇都宮市北部の農村集落や中心市街地にみられる大谷石蔵のデザイン的な見所のひとつは、窓周りの装飾にある。アーチ形や長方形などの形の窓に、日よけ・雨よけのためにつけられた石庇(いしびさし)には、瓦や垂木 注1)を象(かたど)ったデザインが施され、それを支える石柱には西洋風のオーダー 注2)が造形されるなど、凝灰岩である大谷石の柔らかさを活かした凝った装飾のデザインがみられる。そもそも、大谷石蔵は、蔵の防火性を高めるために、木造の蔵に大谷石を貼ったのが始まりといわれていることを鑑みると、蔵を大谷石で覆ってしまえば、こうした凝った装飾をデザインすることは不要なように思う。しかしながら、そうした要不要を超えて、多くのひとびとが時間とエネルギーをかけ、大谷石による装飾のデザインをしてきたことに、地域の大谷石の建築文化の一端を感じることができる。

一方、近現代の建築家の設計した建物にも、大谷石は使われることがあり、そこには、大谷石蔵とは異なる魅力のある装飾のデザインがみられる。大谷石の建造物は、われわれの身の回りにある石蔵から、建築家の設計した建物までさまざまなものがあり、その装飾のデザインも多様な広がりをみせる。本稿では、大谷石文化のひとつである大谷石の建造物の装飾のデザインに着目して、それらの造形的な特徴について論じる。

大谷石蔵の装飾のデザイン

大谷石蔵には、窓周りの装飾の他にも、軒蛇腹(のきじゃばら)の繰形(くりかた)、妻面(つまめん)の屋号などさまざまな装飾がみられる(図1)。しかしながら、最も凝った装飾のデザインが施されるのは窓周りである。安森、小林、筆者らの研究 注3)によると、大谷石蔵の窓周りの装飾は、3つの種類に分けられる(図2)。

図1.大谷石蔵の装飾(芦沼集落)
写真提供=宇都宮市大谷石文化推進協議会


図2.窓周りの装飾の種類
写真出典=「大谷石の建物と町並みの空間構成と地域特性に関する研究」(小林基澄,宇都宮大学学位論文,2020年)

そのうち、宇都宮市北部の農村集落の大谷石蔵に良くみられる、2種類の装飾の特徴を紹介する。まず、ひとつめは和風の装飾のデザインである。これは、窓上部の壁の荷重を木造の建物のように石のまぐさ 注4)で受け、石庇には垂木や瓦を模して象られたデザインが施され、まぐさや扉に吉祥図が刻まれるなどの特徴をもつ。もうひとつは、洋風の装飾のデザインであり、これは、窓上部の壁の荷重を西洋の建物のように石を組んで受け流し、石庇を支える柱に西洋風のオーダーを模した造形がなされるなどの特徴を持つ。これらは、洋風と和風といった一見すると対照的なデザインであるものの、西洋の建物や日本の伝統的な建物を模するという共通の特徴をもっている。江戸時代、防火性を高めるために蔵に大谷石が貼られはじめた当時は、木造の建物を模して、和風の装飾のデザインが象られたのだろうし、明治時代以降、西洋の技術やデザインが輸入されてからは、見聞きした西洋の建物を模して、洋風の装飾のデザインが象られるようになったのである。

大谷石蔵の外形は箱形で比較的単純なものであるから、デザイン的な差異をつけるのに、窓という部位の装飾の果たす役割は大きい。大谷石蔵をもつことは、一種のステータスであり、立派な装飾になるよう、石工が競って技術を発揮してデザインしていたと考えられ、そうした地域の歴史のなかで、窓という部位に豊かな装飾のデザインがなされてきたのである。

建築家による装飾のデザイン

一方、建築家による大谷石の装飾のデザインはどうだろう。例えば、フランク・ロイド・ライトの旧帝国ホテル・ライト館を取り上げてみる。この建物では、鉄筋コンクリートの型枠として、スクラッチタイルとともに大谷石が使用されている。それぞれの大谷石のブロックにデザインされた装飾をみると、大谷石蔵の窓周りの装飾とは異なって、何かを模したものでなく、幾何学的な模様が刻まれている注4)のが分かる。先の大谷石蔵の窓周りの装飾とは異なり、建物全体に配されていることが分かる。それぞれの大谷石のブロックにデザインされた装飾をみると、何かを模したものでなく、幾何学的な模様が刻まれているのが分かる。それらの模様は、建物全体に配されており、一見するとそれぞれ異なるようにみえるが、よく見ると規則があることに気づく。例えば、天井端部の大谷石のブロックには、斜めスクラッチのついた長方形の装飾を散りばめられており、メインの灯籠柱や高窓部の柱には、正方形をモチーフにした装飾が散りばめられている。つまり、旧帝国ホテル・ライト館では、建物の部位ごと施された幾何学的な装飾の模様を関連づけることで、建物全体のデザインをひとつの有機体としてまとめ上げているのである。これが、建築家による装飾のデザインの特徴なのであるといえる。


図3.旧帝国ホテル・ライト館 内観写真
(1923年、F.L.ライト)
写真撮影=大嶽陽徳、撮影協力=博物館明治村


図4.旧帝国ホテル・ライト館 装飾部の写真
(1923年、F.L.ライト)
写真撮影=大嶽陽徳、撮影協力=博物館明治村

大谷石建造物の装飾のデザインに関する2つの系譜

以上を踏まえると、大谷石建造物の装飾のデザインには、出自の異なる2つの系譜が存在することがわかる(表1)。ひとつは、身の回りの大谷石蔵の装飾のデザインであり、西洋の建物や日本の伝統的な建物を模して、窓周りなどの建築の部分に装飾を施すことで、家のステータスを表すといった、地域のなかで育ってきたデザインである。もう一方は、建築家による装飾のデザインであり、幾何学的な模様によって、建物の部分を関連づけて建物全体をまとめ上げるといった、西洋から輸入したデザインの方法論とも言うべきものである。現在の大谷石の建築文化は、これらの2つの系譜が絡まりながら築かれてきたことで、豊かな広がりのあるものになっていると感じている。

表1.大谷石建造物の装飾の2つの系譜

注1)屋根板あるいは屋根下地を支えるために架けられた木材。
注2)ギリシア・ローマ建築における柱とその上部構造の比例関係をもととした構成原理を指す。特に柱頭の部分には、すり鉢形状の簡素な装飾や植物の葉が象られた装飾などがみられる。
注3)参考文献1〜7)など。
注4)建物の入口や窓の上部に渡してある水平材で、上部の壁を支えるもの。

 

参考文献
1)小林基澄;大谷石の建物と町並みの空間構成と地域特性に関する研究,宇都宮大学学位論文,2020年
2)小林基澄,安森亮雄;宇都宮市中心市街地における大谷石建物の類型と断片的町並み,日本建築学会計画系論文集 Vol.84 No.756,pp.489-498,2019年2月
3)二瓶賢人,安森亮雄,小林基澄;大谷石建物と町並みの調査と類型分析 – 宇都宮市上田地区を事例として,日本建築学会技術報告集 Vol.24 No.58,pp.1267-1272,2018年10月
4)小林基澄,二瓶賢人,安森亮雄;大谷石建物と町並みの調査と類型分析 – 宇都宮市上田地区を事例として,日本建築学会技術報告集 Vol.24 No.56,pp.421-426,2018年2月
5)安森亮雄;大谷石建物と町並みに関する類型学的研究 – 宇都宮市徳次郎町西根地区を事例として,日本建築学会計画系論文集 Vol.82 No.740,pp.2733-2740,2017年10月
6)小林基澄,安森亮雄,大嶽陽徳,二瓶賢人;宇都宮市北部農村地域の生活と仕事に応じた大谷石建物の改変 – 栃木県宇都宮市を中心とする大谷石建造物に関する研究(13),日本建築学会大会学術講演梗概集 建築歴史・意匠,p.553-554,2018年
7)二瓶賢人,安森亮雄,大嶽陽徳,小林基澄;宇都宮市北部農村地域の生活と仕事に応じた大谷石建物の改変 – 栃木県宇都宮市を中心とする大谷石建造物に関する研究(14) ,日本建築学会大会学術講演梗概集 建築歴史・意匠,p.555-556,2018年
8)E. カウフマン著,谷川正巳・谷川睦子訳;ライトの建築論,彰国者,1970年
9)明石信道;旧帝国ホテルの実証的研究,東光堂書店,1972年


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