大谷にまつわる民話 / 柏村 祐司(栃木県立博物館名誉学芸員)

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歴史が古く、かつ信仰が篤いお寺や神社がある所や、大きな塚・沼・木などがある所には、必ずといっていいくらいそのいわれなどを説く民話が伝わる。歴史の町・石の街大谷もその例に漏れない。

大谷寺の由来

大谷寺は平安時代に弘法大師によって創建されたとの言い伝えを持ち、本尊は千手観音で、坂東三十三箇所第19番目の札所である。大谷寺には、古刹および霊場ならではの民話が伝えられる。

その昔、大谷の岩山の中に地獄谷と呼ばれる毒蛇がすむ谷があった。毒蛇は時々毒水を流し、これに鳥や獣、虫はおろか人間までもそれに触れると死んでしまうと恐れられていた。

平安時代の初め、東国を巡錫(じゅんしゃく)していた弘法大師はこの話を聞くと、早速、里人をすくうために独蛇がすむ地獄谷に分け入った。十数日後、谷から出て来た弘法大師は、毒蛇を退治したと里人に言い残し立ち去った。里人が地獄谷に分け入ると、高い岩山の岸壁に光り輝く千手観音が彫ってあった。里人は弘法大師の遺業を讃えるとともに、観世音を信仰する者が増えたといい、これが大谷寺の始まりという。

天開大谷寺の由来

大谷寺の山号は、天開山である。平安時代初めの頃、大谷寺付近の岩山に大きな蜂が群れ、人が立ち入ることが出来ないばかりか、人々は蜂から危害を受けていた。

ある時、この東国を巡錫していた弘法大師の耳に、この蜂の話が入った。大師は、蜂の危害に苦しむ人々を救うために山中に分け入った。すると、天はたちまち黒雲に覆われ、大きな蜂が群れをなして大師に襲いかかった。しかし、大師はひるむことなく一心に読経を続けるだけだった。しばらくすると黒雲は去り、青空が開けてくるとともに、蜂も消え去ったという。

大谷観音のご詠歌の由来

大谷寺は、坂東札所第19番の観音霊場であり「名を聞くも 恵み大谷の 観世音 導き給え 知るも知らぬも」という御詠歌がある。この御詠歌は、離れ離れになった父子が観音様の導きによって再開されたという話に由来する。

鎌倉時代、承安年中、三河国吉田城下に1人の農夫がいた。農夫は四十を越えてようやく男の子に恵まれた。名を源三郎といい、夫婦の喜びはたとえようもなかった。

ところが、源三郎が3歳の春、父は幕府からの命令による仕事で鎌倉に行くことになり、そこで暮らすことになった。やがて女と親しくなり、女の故郷である宇都宮に下り、住むようになった。三河の妻子は父の帰りを待ちわびる毎日であった。

源三郎が11歳の時、母親が亡くなった。一人残された源三郎は、村の鎮守に日参して父が生きているならば会わせてくださいと祈った。ある晩、「父に会いたければ下野国宇都宮に行き大谷寺の観音様に祈るべし」と夢の中で神のお告げを得た。源三郎は宇都宮に向かうと、大谷寺にお参りし、観音様に「早く父に会わせてください」と折った。その願いが通じたのか、ある晩、夢枕に観音様が現われ「参詣人一人ひとり名前と故郷の国をたずねたならば父に会える」とのお告げがあった。翌年の正月17日の晩、再び夢枕に観音様が現われ「明日、街道の向こうからやって来る男女の参詣人の中にお前の父がいる」とのお告げがあった。源三郎は、お告げ通りに門の外で男女の参詣人を探していると、源三郎の足元でつまずき倒れる男がいた。名前と国をたずねると、何と探し求めていた父であったという。源三郎の苦労は報われた。観音様の大慈悲のお陰で、父に会えたのである。

正月に餅をつかない村

大谷の南に戸室山という山がある。麓の集落では、正月に餅をつかない風習がある。

平安時代の初め、大晦日だというのに戸室山の麓を行脚中の弘法大師と弟子がいた。夕日に輝く戸室山に仏意を感じた弘法大師は、村人たちの信仰の拠り所にしようと岸壁に百の穴を掘り仏像を祀ることを決心し、夕食をとる間もなく掘り始めた。

戸室山で弘法大師がそのようなことをしていると知る村人は誰もいなかった。50個目の穴を掘る頃は、寒さも増し、90個目の穴を掘る頃は、大師も寒さと疲れで、槌を振るう手もゆっくりになっていた。99個目の穴を掘り終え、100個目の穴を掘ろうとしていたその矢先に餅をつく音がした。その音を聞いた弘法大師は、夜が明けてしまったと思い、穴を掘るのをやめた。この頃、正月餅は夜が明けてから元日につくのが習わしだったという。祈願成就がならなかった弘法大師は山を下り、途中で会った村人に「100個目の穴は、餅をつく音のために掘れなかった」と伝え、立ち去ったという。

のちに弘法大師の所業を知った村人は、申し訳ないことをしたと思い、正月に餅をつくのをやめた。その後、集落全体に正月に餅をつかない風習が広まったのだという。

大谷にはこの他にも「姿川」にまつわる話や「荒針」という地名にまつわる話、大谷寺への旧参詣道にある「手引き坂」にまつわる話、あるいは「天狗の投げ石」、「親子蛙」の話などがある。大谷にまつわる民話には、大谷寺にまつわる話と弘法大師にまつわる話が多い。大谷寺は、古代に創建された歴史のある寺であり、古くから庶民の信仰を得ていた。そのことが民話を生み出したものに他ならない。また、大谷寺は現在天台宗であるが、本尊の千手観音が弘法大師の作といわれるように弘法大師にまつわる民話が多く、そうした民話から、大谷寺が古くは真言宗の影響にあったことを窺わせる。

参考資料
宇都宮市教育委員会社会教育課『宇都宮市の民話』宇都宮市教育委員会 昭和58年
『大谷観音ちらし』大谷寺


参拝者で賑わう天開山大谷寺


大谷寺のご本尊 千手観音


正月餅をつかない里と戸室山


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