地名「Oya」とグリーンタフ / 髙橋 俊守(宇都宮大学地域デザイン科学部教授)

  • カテゴリ_自然環境

関東平野の周縁に位置する大谷地区は、平地から山地への移行帯に位置しているため、変化に富んだ地形が認められる。このことに加えて、大谷地区の地域特性を考慮するために不可欠な要素が、緑色凝灰岩(グリーンタフ:green tuff)の存在である。グリーンタフは、数百万年前から現代に至る地殻変動の名残で、激しかった火山活動で噴出された大量の火山岩や火山灰等の火山砕屑物が固結したものである。含有する輝石や角閃石の熱変成によって緑色を帯びることが多いから、名称にグリーンを冠している。タフは、凝灰岩を意味している。グリーンタフは、大谷地区以外にも、北海道、東北の日本海側から伊豆半島など、東日本を中心として分布しており、日本列島の誕生にも関係した地球科学的な価値を有している。地表面に表出したグリーンタフは、周囲の地層とはきめや色合いが異なっていたり、また変わった形状を示すことがあるため、各地で「奇岩」、「奇景」、「絶景」などと称されて、人々の関心を集めてきた。

大谷地区で見られるグリーンタフもその典型例として知られ、奇岩群が独特の自然の景勝地となっていることから、国の史跡名勝天然記念物に指定(「大谷の奇岩群・御止山・越路岩」平成18年7月)されている。こうした指定の仕組みがまだなかった近世にも、江戸時代の儒学者林春斎が示した日本三景になぞらえて、「陸の松島」と称されて親しまれていたことが知られている。これに加えて、大谷地区においては、グリーンタフによる岩窟あるいは洞穴が存在することも忘れてはならない。すなわち、天開山大谷寺に伝わる日本最古とも言われる10体の摩崖仏を伴う洞穴遺跡は、大正15年2月に国の史跡に指定され、その後、国の特別史跡及び重要文化財に二重指定(「大谷摩崖仏」昭和29年3月及び昭和36年6月)されている。これらは、近世あるいはそれ以前から、坂東三十三観音札所として人々に厚く信仰されてきた。表出したグリーンタフのそびえ立つ奇岩群に加え、岩窟あるいは洞窟に日本最古級の摩崖仏が彫刻されていることで、大谷地区は全国的にみても極めて独特な地域特性を有するに至ったのである。

独特の地域特性を兼ね備えた大谷地区を、地域に暮らしてきた人々はどのように認識していたのだろうか。ここでは、地域に伝わる地名を手掛かりとして、考察してみることにしよう。地名とは、土地と結びついた言語・民族・生涯・地理・信仰・文化など、人々の姿と心が含まれ、現代まで伝わったものである(日本歴史地名大系 栃木県の地名 寶月圭吾監修 1988)。地名は、土地と人間の関係から生じるものであるため、地名の由来を探ることにより、地名を付けた当時の人々にとって、その土地が有していた特別な意味を知るための手がかりが得られるかもしれない。そこでまず、地名としての「大谷」について考察してみよう。地名「大谷」は、室町期の続群書類従(第九輯下 伝部)における、下野竜興開山仏厳禅師南峰妙譲行状(1338-1341頃)において、「宇津宮大谷有寺曰大通」と記されているのが文献における初見とされている(角川日本地名大辞典 竹内 1984)。ここから、「大谷」は、少なくとも中世から現代まで、700年以上にわたって存続している歴史ある地名であることが分かる。

それでは、地名としての「大谷」には、どのような意味があるだろうか。「谷」については、谷津、谷地、谷戸など、丘陵地が侵食されて形成された谷あいの土地を意味する地名において、しばしば用いられている。では、「大」の字を当てた意味はどこにあるのだろうか。角川日本地名辞典を用いて、日本各地にある地名「大谷」の意味を調べてみると、湿地や池を伴うような大きく広い谷あいの土地につけられていることが多い。宇都宮市の「大谷」についても、確かに面積的に広くて大きな谷あいの土地という意味もあるだろう。しかし、近隣には同じような規模の谷あいの土地がいくつもあることを考えると、別の意味合いも含まれていると考えても良さそうだ。すなわち、大谷地区においては、谷あいの土地であることを意識させる対象は、グリーンタフのそびえる奇岩群や、山地や台地の狭間を姿川が貫流していることで形成されている、ダイナミックで変化に富んだ谷地形であろう。特に、グリーンタフによって形成された見上げるような谷壁の存在は、「大谷」地名の意味に大きく関係があるように思われる。

全国に目を向けると、「大谷」の地名はそれほど珍しくないことがわかる。この内、地方公共団体の名称に限ると、「大谷町」は全国に20もある。ところが、「大谷」の読み方に着目してみると、OtaniまたはOdaniの読み方をする町が16で大半なのに対して、Oyaの読み方をする町は4しかない(図1)。Otaniは石川県から長崎県まで西日本に広く分布するのに対して、Oyaは栃木県、群馬県、東京都、長野県までの東日本、特に関東に偏在している。実は、「谷」の訓読みである「ya」及び「tani」について、東日本では「ya」、西日本では「tani」と読むことが多い傾向があることが知られている(笹原 2013)。渋谷、世田谷、幡ヶ谷、深谷など、関東でよく知られた地名の読みを思い出してみると、いずれも「ya」と読んでいることに気が付くだろう。栃木県の大谷町では、「大谷」の読みは「Oya」であることは自明であろうが、全国的にみると、東日本あるいは関東の文化を表す地域読みであると考えられる。

図2は、2018年に人間文化研究機構及びH-GIS研究会が公開した、「歴史地名データ」をもとに、大谷周辺の歴史地名について、地理情報システム(GIS)を用いて地図にしたものである。大谷地区付近には、日本で初めて編纂された地名辞書である大日本地名辞書(明治33年初版)、日本で初めて精密測量に基づいて作成された旧5万分の1地形図(明治29年から昭和10年に測量)を出典とする歴史地名が認められた。この図を見ると、今日私たちが親しんでいる「大谷」以外にも、「大屋」または「巨谷」を当て字した地名が見られることが興味深い。では何故、人々は「大谷」では満足せず、「大屋」あるいは「巨谷」の当て字を用いたのだろうか。これらの地名は、いずれも大谷寺及びその周辺の丘陵地に認められる。「大屋」は、そもそも谷につけられる地名ではなく、低地より高い段丘や台地上の土地につける地名であることから、大谷地区においては、御止め山と称されているグリーンタフの丘陵地あるいは岩屋根といった意味を持つと思われる。一方で、「巨谷」については、摩崖仏を伴うグリーンタフによる岩窟あるいは巨大な岩石による岩陰の存在を意識した地名であると考えられるだろう。

以上見てきたように、大谷地区で歴史的に認められる「大谷」「大屋」「巨谷」の地名の意味には、いずれもグリーンタフの存在が関係していると思われる。また、「大谷」の読み方を「Oya」とするのは、東日本あるいは関東の地域読みの風習に通じるものであろう。これらを総括して図2に示したが、先人が呼び習わした地名「Oya」は、大谷地区の地域特性を端的に表した地名であると考えられる。


図1 地方自治体名に「大谷町」のある都道府県の読み方別分布
西日本では「おおたに」(一部「おおだに」)が一般的だが、長野県以東の東日本では「おおや」と読み、東西日本で地名読みが分かれる。


図2 大谷地区に見られる歴史地名の分布
人間文化研究機構及びH-GIS研究会による「歴史地名データ」をもとにGISを用いて作成した歴史地名マップ。大谷地区には、大日本地名辞書と旧5万分の1地形図を出典とする歴史地名が認められた。


図3 歴史地名Oya(大谷・大屋・巨谷)とグリーンタフの関係及び、それぞれの地名の意味に含まれることが想定される概念の連関図
地名「大谷」は全国的に知られているが、宇都宮市の大谷地区では、広く大きな谷という意味のみならず、グリーンタフに伴う奇岩群の谷壁、摩崖仏を伴う岩窟あるいは洞穴、巨大な岩による岩陰や岩屋根が存在する土地の意味を地名に含んでいると考えられる。


》 PDF版のダウンロードはこちら