近年、建築分野を中心に大谷石をめぐる学術論文が多く発表されている。学術論文のみならず自然科学から人文、社会科学分野まで、大谷石に関連する著書、報告書、図版、雑誌等は膨大な数にのぼることは疑いの余地はないだろう。大谷石をめぐる著述、研究がこうして広範にわたりつつある今日であるからこそ、その全体像を俯瞰する絶好のタイミングともいえるかもしれない。膨大な著作群を個人で総括することは到底かなわないが、本稿では、国立情報学研究所(National institute of informatics、通称NII)が運営する学術論文や図書・雑誌などの学術情報データベースであるCiNii(Citation Information by NII、通称サイニィ)に掲載された「大谷石」を主要なテーマとした学術論文に対象を絞って、学術分野における一定程度の研究動向について考察することを試みたい。このことから大谷石をめぐる研究の現況を把握する補助線となりうる知見を提供できればと考える。なお、対象期間は、1945年から2020年までとして、その年代的変遷についても言及したい (1)。
研究分野別掲載論文数の傾向
前述した「大谷石」を主要なテーマとした学術論文とは、主に学術団体が運営する学術雑誌に掲載された研究論文、また高等教育機関が発行する紀要、国、民間の研究機関が発行している年報等の調査報告を対象とした。CiNiiで検索をかけると、昭和24年(1949)から令和2年(2020)までに200本の論文を確認できた。図1は、全体を通して最も多かった研究分野順に整理したものである。研究分野は多岐にわたっており、本稿では大まかな大谷石研究の年代的変遷を読み取る見地から整理した (2)。
全体を通して一番論文数の多かった研究分野は、「材料」の62本で全体の31%であった。日本材料学会、日本建築仕上学会、日本粘度学会等で発表され、研究内容としては、大谷石の建築材料としての性能に関わる分析や、化学工業材料としての実用化などの研究があげられる。次は「建築・都市」の42本(21%)で、日本建築学会等で発表され、大谷石による歴史的建造物、市街地や農村部に点在する石蔵、都市景観等に関わる研究もあげられる。「採石跡地」では31本(15.5%)で、土木学会、地盤工学会等で発表され、大谷石採石跡地の構造分析や、地下空間の有効利用についての研究があげられる。「地質」は15本(7.5%)、日本地質学会等で発表され、地質学的な見地からの組成分析などの研究が、「農業」は13本(6.5%)、日本土壌肥料学会等で発表され、大谷石を利用した肥料の開発などの研究があげられる。「土木・地盤(工学)」では12本(6%)で、土木学会、地盤工学会等で発表され、大谷石の力学特性などの研究が、「環境・産業」では8本(4%)で、空気調和・衛生工学会等で発表され、大谷エリアにおける環境資源と冷熱エネルギー活用などの研究があげられる。「構造」では5本(2.5%)で、日本建築学会等で発表され、大谷石による耐力壁の構造強度などの研究、「労働衛生」も5本(2.5%)で、日本産業衛生学会等で発表され、大谷石採掘者の健康問題についての調査報告があげられる。「石造文化財」が3本(1.5%)で、保存科学研究センターなどで発表され、大谷寺石仏の保存にかかわる研究があげられる。「歴史・民俗」では2本(1%)(詳細は後述)、「その他」は2本(1%)となっている。
掲載論文数の年代的変遷
図2は、年次ごとの掲載論文数の変遷をまとめたものである。戦後から1980年までは論文発表のない年も見られ、1980年から2005年までも年間で5本を上回ることはなかったが、2010年代に入って掲載論文数が増加しているのが看て取れる。
図3は、年代別での掲載論文数の変遷をまとめたもので (3)、2010年代に入ってからの掲載論文数の増加は顕著であることは明瞭である。研究分野別に見た年代的な傾向としては、1960年代に農業分野で論文が少なからず発表され、1980年代からは材料分野から論文が一定数の論文が持続的に発表されており、採石跡地の研究も1990年代以降持続的に10本前後発表されている。何よりも2010年代の建築・都市分野における論文数の増加は顕著である。以下、各年代別に研究動向の特徴についてみてみよう。
1940年代の研究動向
3本の論文が確認された。いずれも地質分野で鉱物組成などが論じられている(太田・須藤,1949ほか)。
1950年代の研究動向
6本の論文が確認された。主に材料分野で大谷石のセメント利用(狩野・横山,1950)、労働衛生分野で大谷石採掘者の腰痛などの健康問題が論じられている(上牧,1953)。
1960年代の研究動向
16本の論文が確認された。最も多かったのは、農業分野における大谷石粉末を利用した肥料開発にかかわる研究で7本であった(坪田,1962ほか)。材料分野で建築物の擁壁としての大谷石利用に関わる研究もみられ(榎並,1968ほか)、高度経済成長期を背景とした当時の大谷石をめぐる主要な問題関心がここから垣間見ることができる。
1970年代の研究動向
7本の論文が確認された。材料、地質、農業、労働衛生分野でそれぞれ論文が散見されるが、論文数が少ない中にあって、特筆すべきは、フランク・ロイド・ライト研究の第一人者である谷川正巳氏が、帝国ホテルの建設過程を通しての「大谷石」の特質についてライトの考察を紹介している点である(谷川,1975)。後年の大谷石をめぐる建築や美術・デザイン研究にとって大きな貢献を為したといえるだろう (4)。
1980年代の研究動向
21本の論文が確認された(5) 。この時期に論文本数が増え、大谷石研究に新たな息吹を与えたのは、材料分野における宇都宮大学工学部工業化学科(当時)の藤郷森(とうごうひろし)氏を中心とした主に大谷石粉末を利用した液相吸着剤の実用化を目的とした一連の研究といえる(藤郷・河田・田中,1981ほか)。80年代初頭から90年代初頭までに継続的に11本が発表されている。
1990年代の研究動向
24本の論文が確認された。材料分野が依然として13本と多くを占めている。大谷石の焼成灰からの多孔質セラミックを生成する研究など、より多面的利用に向けた研究の端緒がみえる(後藤他 ,1995)。一方で、やはり注目しなければならないのは、1989年2~3月の大規模な陥没事故後の採石跡地をめぐる研究論文である(7本)。事故後に設置された大谷石採取場跡地観測システムに関わる調査報告が4本確認され(中田,1990ほか)、陥没以前から実施されてきた跡地利用による農産物貯蔵に関する研究も見られる(青木・鈴木・山口,1992ほか)。
2000年代の研究動向
35本の論文が確認された。引き続き材料分野が11本と多くを占めていて、2005年から大谷石の吸水膨張特性や吸放湿性能に注目した研究が連続している点は興味深い(田熊他,2008) (園部他,2009)。この時期、大谷石の多孔質からなる吸放湿性が注目され、調湿建材としての使用が検討されていた背景があったと言及されている。採石跡地に関する論文も6本確認できるが、そのうち4本は、「地下空間」における構造的安定性や再生用途について論じられ(清木他,2001)、陥没事故から10年あまりを経て、地下空間の活用といった方向性へ学術的な問題関心も移行していることがうかがわれる。また、2005年以降に建築・都市分野において、安藤記念教会の修復に際しての研究や(西堀他 ,2007)、篠井地区の石蔵などの研究(山内他,2009)などが見られるようになった。大谷石建築への関心やまちづくりなどの社会的気運の高まりとも無関係とはいえないだろう。
2010年代の研究動向
88本の論文が確認された。大幅な論文数増加の背景には、建築・都市分野における論文数の急激な増加が第一に挙げられる(31本)。本連載においても執筆いただいた安森亮雄氏を中心として、同じく大嶽陽徳氏らによるの豊饒な成果は特筆するに値する(安森,2017ほか)(髙橋,安森,大嶽,2017ほか)。
また、引き続き材料分野における発展もみられ(22本)、大谷石の吸放湿性の研究に加え、脱臭性能についての研究まで広がる一方で、大谷石の劣化を防ぐ防止剤の効果等の研究も見られ(宮澤他,2012)、大谷石の多面的利用に資する研究の裾野の広がりを見ることができる。
加えて、採石跡地に関する論文も17本あったが、地下空間の有効利用に関して、維持管理、熱環境、利用者評価など多様な視点からの検討となっており、実際の利活用に際しての実践的な研究に移行していることがうかがわれる(多田他,2014ほか)。こうした地下空間の利活用をめぐっては、環境分野でも本連載で執筆いただいた横尾昇剛氏らによる大谷エリアにおける冷熱エネルギー活用に関する研究もあげられる(吉澤・横尾,2017)。
農業分野で2018年に栃木県農業試験場で発表された農産物における大谷石による放射性セシウム吸収低減化に関する調査報告がまとめて5本確認できた(鈴木他,2018ほか)。2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故後の栃木県内の士壌中の放射性セシウム濃度上昇を受けての調査研究であるとの言及がみられる。
最後に特筆すべきは、歴史分野において大谷石をめぐる古文書を基にした歴史研究がほぼ皆無であった中で、本連載でも執筆いただいた高山慶子氏によって、明治初期の栃木県官吏による旧江戸町名主宛書簡から大谷石の取引をめぐる生き生きとしたやりとりが繙かれたのは、大谷石研究の学術的な裾野を広げたという意味で画期的な成果といえるだろう(高山,2016)。本連載を通してこれらの成果に触れることができるのは幸運といえよう。
おわりに
個々にはきわめて興味深い研究も見られ、さらに研究動向に関わる分析についても、紙面の制約上詳しく言及できず、大まかな概説にとどまったことは口惜しい。しかしながら大谷石をめぐる研究の変遷をこうして俯瞰して検証すると、やはりその年代ごとの社会的気運や要請の中で営まれてきたことを改めて感じる。本稿は、あくまでもCiNiiを手掛かりとした学術雑誌での掲載論文という限定された制約の中での一考察に過ぎない。大谷石研究の営みはもっと幅広く、多くの人々が多様な分野、媒体、活動等で展開されていることは述べるまでもなく、今後、大谷石をめぐる研究におけるこれらの膨大な成果が体系的に蓄積されながら、さらに豊饒なものとなっていくことを願っている。
主要参考文献(年次順)
1)太田〓司,須藤俊男(1949)「大谷石の研究(其の2) : 鑛物組成」『地質学雑誌』(55), 日本地質学会, pp.242-246, ※〓の箇所は旧漢字で「廿」の下に「出」。
2) 狩野春一,横山福一(1950)「1. 不燒セメントの性質並に利用に関する研究 (第1報) : 不燒セメント原料として大谷石屑(ズリ)の利用価値に就て」『日本建築學會研究報告』(9), 日本建築学会, pp.1-4
3) 上牧恭一(1953)「大谷石採掘者の腰痛症について」『日本医師会雑誌』(7), 日本医師会, pp.326-327
4) 坪田五郎 (1962)「黒ボク水田の改良に関する一連の研究 : ことに水田のリン酸還元および大谷石の利用について(日本土壌肥料学会賞受賞講演) 」『日本土壌肥料学会講演要旨集』(8), 一般社団法人 日本土壌肥料学会, p.59
5) 榎並昭(1968)「目地モルタルを使用した大谷石積擁壁の載荷試験」『大会学術講演梗概集. 構造系』(43), 日本建築学会, pp.603-604
6) 谷川正己(1975)「帝国ホテルの大谷石についてのMemo : Frank Lloyd Wright研究・20」『学術講演梗概集. 計画系』(50),日本建築学会, pp.1423-1424
7) 布川嘉英,天野一男,酒井豊三郎(1985)「大谷石”の層序学的位置 : 第三紀」『日本地質学会学術大会講演要旨1985』, 一般社団法人日本地質学会, p.126
8)藤郷森,河田達男,田中甫(1981)「大谷石の粉砕分級による吸着剤の製造について」 『粘土科学討論会講演要旨集』(25),一般社団法人日本粘土学会, p.31
9) 後藤義昭,小山唯,岡村裕美,前川昭,松川進 (1995)「大谷石-焼成灰からの多孔質セラミックの生成」『粘土科学』(35),日本粘土学会, p.132
10) 中田文雄(1990)「大谷石採取場跡地における振動観測データ処理システムの構築とAE活動」『情報地質 = Geological data processing』1(2),日本情報地質学会, pp.179-189
11) 青木岳央,鈴木正行,山口正篤(1992)「大谷石採掘跡を利用した玄米の貯蔵法について」『栃木県農業試験場研究報告』(39),栃木県農業試験場, pp.1-8
12) 田熊亮史,小西敏正,桝田佳寛,中村成春 (2008)「吸水膨張特性及び基礎的性質からみる大谷石及び大谷石類似石の性能に関する研究(メーソンリー,材料施工)」『学術講演梗概集. A-1, 材料施工(2008)』,日本建築学会, pp.135-136
13) 園部真理菜,小西敏正,桝田佳寛,中村成春,萩原伸治 (2009)「建築内装仕上げ材料としての大谷石の吸放湿性能に関する研究(壁土・石,材料施工) 」『学術講演梗概集. A-1, 材料施工(2009)』日本建築学会, pp.463-464
14) 清木隆文,Aydan Omer,西淳二 (2001)「既設地下空間の構造的安定性に関する一考察–大谷石採掘跡地空間について (第6回 地下空間シンポジウム) 」『地下空間シンポジウム論文・報告集6』,土木学会, pp.281-288
15) 西堀千穂,桝田佳寛,間瀬淳平,小西敏正,河東義之(2007)「大谷石建築の保存改修工事に対する基礎的研究 : 安藤記念教会90周年記念事業(保存と改修,建築計画I) 」『学術講演梗概集. E-1, 建築計画I, 各種建物・地域施設, 設計方法, 構法計画, 人間工学, 計画基礎(2007)』,日本建築学会, pp.715-716
16) 山内孝治,渡邉美樹,福田省三(2009)「栃木県篠井地区の石倉について(日本建築史:民家(1),建築歴史・意匠) 」『学術講演梗概集. F-2, 建築歴史・意匠(2009)』,日本建築学会, pp.491-492
17) 安森亮雄(2017)「大谷石建物と町並みに関する類型学的研究 宇都宮市徳次郎町西根地区を事例として」『日本建築学会計画系論文集』(740), 日本建築学会,pp. 2733-2740
18) 髙橋広野,安森亮雄,大嶽陽徳(2017)「大谷石を用いた現代建築作品の設計論に関する研究 栃木県宇都宮市を中心とする大谷石建造物に関する研究 12」『建築歴史・意匠(2017)』,日本建築学会, pp. 473-474
19) 宮澤康太,桝田佳寛,李榮蘭,山田修平(2012)「劣化防止剤が大谷石の調湿性・脱臭性に及ぼす影響に関する研究(メーソンリー・ALC(2),材料施工,2012年度大会(東海)学術講演会・建築デザイン発表会) 」『材料施工(2012)』,日本建築学会, pp.401-402
20) 多田海成,井上達也,佐藤大地(2014)「利用者のニーズに着目した大谷採石地下空間の有効利用に関する検討」『地下空間シンポジウム論文・報告集』(19),土木学会, pp.39-44
21) 吉澤彰太郎,横尾昇剛(2017)「大谷エリアにおける環境資源と冷熱エネルギー活用に関する研究」『空気調和・衛生工学会大会 学術講演論文集 2017』10(0), 公益社団法人空気調和・衛生工学会, pp.161-164
22) 鈴木康夫,五月女敏範,山口昌宏,大関美香,豊島貴子,大山亮,加藤常夫 (2018)「コムギおよびオオムギの土壌からの放射性セシウム移行」『栃木県農業試験場研究報告』(78), 栃木県農業試験場, pp.47-51
23) 髙山慶子(2016)「栃木県官吏仲田信亮の旧江戸町名主馬込惟長宛書簡 : 大谷石などの栃木県産石材をめぐって」『宇都宮大学教育学部研究紀要. 第1部 = The research bulletin of the Faculty of Education, Utsunomiya University 』(66),宇都宮大学教育学部, pp.51-64
注
(1)学術活動の発展と併せて、CiNiiで収録されている学術雑誌そのものも現代に近づくに従い増加している背景からも本稿における掲載論文数も現代に近づくにつれて上昇する傾向にあることが予想される。
(2)研究分野の分別にあたっては、一般的な学術分野に合わせて、本連載のカテゴリーである「地質」「歴史」「民俗」「建築・都市」「景観」「産業・環境」「美術・デザイン」「自然環境」を前提に構成した。ただし、論文対象がCiNiiで掲載されている限定された条件であることから、本連載で扱われている文脈における「自然環境」は確認できず、また、「歴史」「民俗」もそれぞれ1本であったので、「歴史・民俗」で括った。加えて、「景観」、「美術・デザイン」においても、いずれも主には日本建築学会で発表され、「建築・都市」分野における研究と交錯しており、筆者の主観による恣意性を極力避けるため、本稿では「建築・都市」で括った。筆者は、これらの作業を通して本連載の企画が新たな大谷石研究の裾野を広げる試みとしてみることができるのではないかと感じている。なお、「採石跡地」については多様な学術分野が扱う研究対象であるが、200本の中で31本と多くを占めており、本稿の目的を考慮してこれらを研究分野として扱った。
(3)2020年の論文(2本)は2010年代に括った。
(4)ライト建築と大谷石との関連性については本連載で執筆いただいた橋本優子氏が詳細な論考を展開している。
》ライトによって拓かれた大谷石文化の近代(1)/ 橋本 優子(宇都宮美術館専門学芸員)
》ライトによって拓かれた大谷石文化の近代(2)/ 橋本 優子(宇都宮美術館専門学芸員)
(5)本連載で執筆いただいた酒井豊三郎氏による論考も発表されている(布川・天野・酒井,1985)。