「大谷石文化学」連載による情報発信

各分野の専門家がナビゲーター役となり、大谷石文化を語る上で欠かせない話題や背景を取り上げた連載をご紹介します。

地質

大谷石文化の下地である大谷石そのものについて、石材・景観の構成材料としての観点を主軸に、石としての性質・特徴などを解説する。

1.大谷石の姿と広がり(その1)/ 酒井 豊三郎(宇都宮大学名誉教授)
大谷石とは何か。どこに、どのように存在するのか。場所によって随分と異なった石に見えるがそれは何故か。などについて解説する。
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2.大谷石はこうやってできた / 酒井 豊三郎(宇都宮大学名誉教授)
火砕流堆積物として大谷石が出来上がり、現在私たちが見ている状態になるまでの過程について解説する。
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歴史

大谷石採掘と利用が本格化する江戸時代以前、人々は大谷石とどのように関わったのか。大谷石文化の黎明期の一端を概観する。

1.大谷寺洞穴遺跡 -大谷の地に足跡を残した人々- / 橋本 澄朗(宇都宮市文化財保護審議委員会委員長)
大谷磨崖仏の造像された岩陰(洞窟)には、縄文時代草創期以来断続的ながら人々の営みが確認されていたことを発掘調査の成果から説明する。
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2.大谷石の横穴式石室-黄泉の世界を演出する威信材- / 橋本 澄朗(宇都宮市文化財保護審議委員会委員長)
古墳時代後期(6世紀)になると、姿川上流地域には、大谷石を構築材とした横穴式石室の古墳が築造されていることを具体的事例を紹介しながら説明する。
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3.仏教文化の波及と大谷 -里山の異界を求めて- / 橋本 澄朗(宇都宮市文化財保護審議委員会委員長)
大谷地域を含めた宇都宮北部には、水道山瓦窯跡、大谷磨崖仏、多気不動尊等仏教文化の波及を示す記念物が多数所在することをこの地の自然景観と関連させて説明する。
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4.大谷磨崖仏 ―岩壁に彫られた十体の仏像― / 橋本 澄朗(宇都宮市文化財保護審議委員会委員長)
東国でも稀有の存在である大谷磨崖仏についての概要、具体的な造像背景、造像方法、造像順序を説明する。
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5.大谷千手観音立像 -千手観音像造像の歴史的背景- / 橋本 澄朗(宇都宮市文化財保護審議委員会委員長)
大谷磨崖仏の中でも最も注目される千手観音立像造像の背景を9世紀前後の東国社会の動向と関連させて説明する。
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6.洞窟寺院大谷寺の軌跡 / 橋本 澄朗(宇都宮市文化財保護審議委員会委員長)
7世紀後半には、地方豪族は権威を示す手段を古墳から寺造りに変更する。その結果、東国でも多数の寺院が建立され、東国でも100に近い寺院が創建されたと推定される。ところが、古代寺院の多くは姿を消す運命となる。現在まで信仰の拠点であり続ける洞窟寺院大谷寺の軌跡は、東国では稀有な事例と云える。この間の事情を説明する。
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7.再論、大谷磨崖仏とは / 橋本澄朗(宇都宮市文化財保護審議委員会委員長 )
本来の仏教には偶像崇拝は存在しなかった。ところが、アフガニスタン北部のガンダーラ地方で2世紀前後にヘレニズム文化の影響を受け、西方的容貌の石仏が石窟寺院を荘厳化する目的で造られる。それが、仏教東漸(とうざん)に伴い各地に多数の石窟寺院と多様な石仏が造られる。著名なものをみていこう。
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8.明治前期における大谷石の東京市場開拓(1)/ 髙山慶子(宇都宮大学共同教育学部准教授)
大谷石は、地元の宇都宮周辺では、古墳、寺社、城などに古くから使用されてきた。他国にはないやわらかい石、つまり大谷石とみられる石が、宇都宮では寺院の屋根瓦として使用された様子を観察している。日本各地を巡り歩いた古川古松軒が、他国にはないと評していることから、この頃はまだ、大谷石は地元以外ではそれほど知られていなかったことが伺える。この大谷石が、地元以外、なかでも最大の市場と目された東京で取引をしようとした様子をみていこう。
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9.明治前期における大谷石の東京市場開拓(2)/髙山慶子(宇都宮大学共同教育学部准教授)
馬込家文書には、栃木県の官吏であったとみられる仲田信亮が、明治12年(1879)8月17日から9月11日にかけて、東京の馬込惟長に宛てた5通の書簡がある。その内容について読み解く。
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10.明治前期における大谷石の東京市場開拓(3)/髙山慶子(宇都宮大学共同教育学部准教授)
明治12年(1879)8月20日、同27日、9月6日、同11日と、仲田信亮から馬込惟長への手紙は続く。それらの中で仲田は、惟長の照会を受けて、大谷石以外の栃木県産石材である板橋石、岩船石、磯山石についても情報を寄せている。その内容について読み解く。
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民俗

人々の記憶や使用してきた道具等から、大谷石採掘ならびに大谷に関わる人々の暮らしについて紹介する。

1.問屋を中心とした大谷石山の社会 / 柏村 祐司(栃木県立博物館名誉学芸員)
主として手掘り時代の大谷石採掘者の組織について紹介する。
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2.石山の守り神 -山の神信仰- / 柏村 祐司(栃木県立博物館名誉学芸員)
山の神の祭りなど山の神信仰の実際について紹介する。
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3.石切り方法と道具 -手掘りから機械堀へ- / 柏村 祐司(栃木県立博物館名誉学芸員)
手堀りによる採掘の方法と道具、および機械の導入の経緯について紹介する。
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4.お宝を火災から守る -石蔵の出現- / 柏村 祐司(栃木県立博物館名誉学芸員)
蔵は板蔵から石蔵へと変わったが、石蔵が最初、貼石工法によって建てられたことを運搬の関わりから紹介する。
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5.石屋根に魅せられた民藝運動家 / 柏村 祐司(栃木県立博物館名誉学芸員)
柳宗悦は、石屋根に魅せられ石屋根の長屋門を購入し住居とした。柳宗悦がなぜ石屋根に魅せられたのかを紹介する。
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6.大谷にまつわる民話 / 柏村 祐司(栃木県立博物館名誉学芸員)
大谷寺の由来他、大谷にまつわる民話を紹介する。
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7.大谷石の運送に果たした人車軌道と軽便鉄道 / 柏村 祐司(栃木県立博物館名誉学芸員)
大谷石の運送が馬背や馬車が主流であった時代、大谷石の運送に果たした人車軌道と軽便鉄道について解説する。
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建築・都市

大谷石の様々な建築を取り上げ、その時代背景や、石工の工夫、建築家のデザイン、そこでの暮らしや営み、それらが集積した町並みなどを読み解き、それらの総体としての建築文化を考察する。

1.農村集落における大谷石の町並みと建物の類型学 / 安森 亮雄(千葉大学大学院工学研究院教授)
宇都宮市の農村集落のフィールドワークにもとづく、大谷石の町並みと建物の紹介。
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2.中心市街地における大谷石の町並みと建物の類型学 / 安森 亮雄(千葉大学大学院工学研究院教授)
宇都宮市の中心市街地のフィールドワークにもとづく、大谷石の町並みと建物の紹介。
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3.地域性(ヴァナキュラー)と匿名性(アノニマス)—近代のデザイン運動との関わり— / 安森 亮雄(千葉大学大学院工学研究院教授)
近代主義の大量生産や均質性を乗り越えるため、デザイン運動が着目した、石の建造物の地域性と匿名性について解説。
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4.大谷石の学びの空間―宇都宮大学キャンパスの生きた教材― / 安森 亮雄(千葉大学大学院工学研究院教授)
大正時代に設立された宇都宮大学のキャンパスにおける、フランス式庭園や、旧図書館書庫、近年の整備まで、大谷石の学びの空間について紹介。
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5.大谷石の産業建築 ―地域産業におけるものづくりの空間と風景― / 安森 亮雄(千葉大学大学院工学研究院教授)
地域産業のものづくり(酒、味噌、タバコ、織物等)に使われた大谷石の建物の紹介。
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6.大谷石の近代建築 ―戦後日本のヴァナキュラー・モダン― / 安森 亮雄(千葉大学大学院工学研究院教授)
戦後日本の近代建築家(前川國男、坂倉準三、谷口吉郎 等)の大谷石の建築作品の紹介と考察。
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7.石のまち―素材を通した都市間ネットワーク― / 安森 亮雄(千葉大学大学院工学研究院教授)
日本の「石のまち」について、大谷石と同じく関東近県で東京・横浜を消費地とする、房州石(千葉)や伊豆石(静岡)との関わりを紹介。
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8.大谷石建造物の装飾のデザイン – 石蔵と建築家のデザインの系譜 /大嶽陽徳(宇都宮大学地域デザイン科学部助教)
大谷石文化のひとつである大谷石の建造物の装飾のデザインに着目して、それらの造形的な特徴について論じる。
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9.T氏邸の装飾のデザインにみられる更田時蔵の試み /大嶽陽徳(宇都宮大学地域デザイン科学部助教)
旧大谷公会堂の装飾のデザインとともに、T氏邸の装飾のデザインにみられる更田時蔵の試みについて論じる。
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景観

地域の建築家として自分が見てきたもの、調査してきたもの、感じてきたもの、創ってきたもの、そして今後の可能性、大谷の町の可能性等について紹介する。

1.大谷石との出会い・大谷石の風が吹いてくる / 塩田 潔(NPO法人大谷石研究会理事長)
宇都宮市民・栃木県民にとって、幼少時に大谷石の石塀や石蔵との出会いがある。そのヴァナキュラーな素材との出会いは、私たちにとって大変幸運な事。
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2.旧帝国ホテル・ライト館に使われ、一気に付加価値が高まる / 塩田 潔(NPO法人大谷石研究会理事長)
旧帝国ホテル・ライト館との出会いは、大学3年の時であった。私にとっては意外な印象であった。
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3.宇都宮独特の景観形成 / 塩田 潔(NPO法人大谷石研究会理事長)
私たちにとって当たり前の風景、大谷石の石塀や石蔵のある風景が今も旧街道沿いに残る。擁壁、アーチ型の橋や石畳が景観に彩りを添える。
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4.諸々の日本の近代化産業を支えてきた大谷石 / 塩田 潔(NPO法人大谷石研究会理事長)
地元では、味噌、醤油、酒の醸造蔵として、周辺地区では真岡木綿や足袋の製造、両毛地区の絹織物の工場や礎石として産業を支えてきた。
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5.新しい大谷石の使い方、その可能性 / 塩田 潔(NPO法人 大谷石研究会理事長)
建築基準法による制約、宅地造成の素材としての終焉を超え、新たな内外装材として付加価値を見出し、全国に又は世界に市場を広げる。
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6.そして大谷は―その(1) / 塩田 潔(NPO法人 大谷石研究会理事長)
大谷は、大谷石産業としての盛衰に左右されてきた歴史がある。近年は特に観光としての魅力度が増し、従来の産業に新たな産業が加わり、観光とのコラボに新たな活路を見出しつつある。
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7.そして大谷は―その(2)/ 塩田 潔(NPO法人大谷石研究会理事長)
大谷は、大谷石産業としての盛衰に左右されてきた歴史がある。近年は特に観光としての魅力度が増し、従来の産業に新たな産業が加わり、観光とのコラボに新たな活路を見出しつつある。
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8.大谷石の文化―未来へ /塩田 潔(NPO法人大谷石研究会理事長)
宇都宮市大谷石文化推進協議会主催の「石のまち宇都宮シンポジウム」で報告された石の産地の中で、特に大谷石研究会と交流のある北海道札幌市「札幌軟石」と千葉県富津市「房州石」に関して述べる。
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9.旅先で見かけた大谷石 -旧東海道にて- /神野 安伸(下野民俗研究会)
趣味で旧東海道を散策しているが,ところどころで大谷石を見かける。旧東海道という線の上だけでの見分であり,きちんと記録を取っているわけでもない。また石の種類は私の見た目での判断である。したがってデータとしての意味はないが,あくまで私的な印象という前提で記してみる。
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産業・環境

1.大谷エリアの環境資源 地上編 / 横尾 昇剛(宇都宮大学地域デザイン科学部教授)
大谷エリア及び周辺における地域の固有の環境資源として、特徴的な景観、加工場跡や大谷石使用の建物など構造物の立地状況について述べるとともに、大谷エリア固有の環境資源の活用の方向性について解説する。
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2.大谷エリアの環境資源 地下編 / 横尾 昇剛(宇都宮大学地域デザイン科学部教授)
大谷エリアにある特徴的な産業遺構としての地下空間の概要と地下空間活用の先行的取り組みの動向、そして地下空間特有の温度分布、冷水の温度分布、冷水貯留量を冷熱エネルギーとしての新たな活用方策について解説する。
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3.大谷石の熱的特性と活用 / 横尾 昇剛(宇都宮大学地域デザイン科学部教授)
大谷石の熱伝導、蓄熱性、保水性など、熱的特性を活かした活用事例を紹介。
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4.大谷の環境資源で夏いちご / 横尾 昇剛(宇都宮大学地域デザイン科学部教授)
大谷の地下空間に貯留されている地下冷水を冷熱エネルギーとして活用する用途として農業に着目し、大谷の夏いちごの栽培や他の農業分野への活用の展開について解説する。
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5.大谷石研究の年代的変遷~CiNii掲載論文からの一考察 /加藤壮一郎(神奈川県政策研究センター 特任研究員)
国立情報学研究所が運営する学術情報データベースであるCiNiiに掲載された「大谷石」を主題とした学術論文の集計から、戦後から現代までの大谷石研究をめぐる年代的変遷を考察する。
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6.大谷石効果の産業活用/藤原浩已 (宇都宮大学地域デザイン科学部教授)
大谷石は食品の熟成効果や防臭・防腐、音響、癒しなど、様々な効果を持つ可能性を有しており、大谷石の効果を活用した産業の育成と、観光活性化を図る視点から、その産業活用のあり方を研究した。
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美術・デザイン

アメリカ人建築家フランク・ロイド・ライト(1867~1959 年)を出発点に、地域の名建築、石と人の活動を支えた鉄路、戦後の状況、そしてライトがもたらした糧を「未来の遺産」「地域の誇り」として継承することを解き明かす。

1.ライトによって拓かれた大谷石文化の近代(1)/ 橋本 優子(宇都宮美術館専門学芸員)
ライトの来日と石選び、日本政府の全国石材調査、ライト《旧・帝国ホテル ライト館》、そのために拓かれたホテル山(旧・東野採掘場)の紹介。
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2.ライトによって拓かれた大谷石文化の近代(2)/ 橋本 優子(宇都宮美術館専門学芸員)
《旧・帝国ホテル ライト館》の真実、近代の眼差しに則る日本らしさ、木・土との親和性を湛える石に対するライトの拘りについて解説。
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3.地域が誇る昭和戦前の大谷石名建築(1)/ 橋本 優子(宇都宮美術館専門学芸員)
それぞれのモダニティ、在来・実用・歴史・近代建築の関係性をめぐる分析と、安 美賀《旧・宇都宮商工会議所》の紹介。
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4.地域が誇る昭和戦前の大谷石名建築(2)/ 橋本 優子(宇都宮美術館専門学芸員)
マックス・ヒンデル《カトリック松が峰教会聖堂》について、在来・実用・歴史・近代建築という四つの概念、ロマネスクの建築言語、設計者の活動と取り組みに照らして論説。
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5.地域が誇る昭和戦前の大谷石名建築(3)/橋本優子(宇都宮美術館専門学芸員)
《カトリック松が峰教会聖堂》と《日本聖公会 宇都宮聖ヨハネ教会礼拝堂》が典拠とした西洋中世、その復元・復興・転生について、建築・デザイン史の文脈で詳しく解説。
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6.地域が誇る昭和戦前の大谷石名建築(4) /橋本優子(宇都宮美術館専門学芸員)
上林敬吉《日本聖公会 宇都宮聖ヨハネ教会礼拝堂》について、聖公会、ゴシック・リヴァイヴァル、アーツ・アンド・クラフツ運動を通底する理念に照らして論説。比較対象として、更田時蔵《旧・大谷公会堂》にも言及。
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自然環境

人々は、大谷の自然特性をどのようにとらえ、地域資源として利用してきたのだろうか。大谷石文化の基底となる生態系サービスを俯瞰し、大谷の自然と人々の暮らしの関係を明らかにしたい。

1.大谷地区の地形特性 / 髙橋 俊守(宇都宮大学地域デザイン科学部教授)
山、川、岩が織りなす変化に富んだランドスケープについて。
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2.地名「Oya」とグリーンタフ / 髙橋 俊守(宇都宮大学地域デザイン科学部教授)
大谷地区の地域特性を考慮するために不可欠な要素が、緑色凝灰岩(グリーンタフ:green tuff)の存在である。
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3.大谷石が持つ地域の資源としての特徴と価値 /髙橋 俊守(宇都宮大学地域デザイン科学部教授)
大谷石には地域資源としてどのような特徴があり、また人々はどのようにそれを理解して利用してきたのだろうか。大谷石の持つ非移転性と有機的連鎖性の特徴について考察する。
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4.大谷石と江戸時代の石切の暮らし /坂本達彦(國學院大學栃木短期大學教授)
近世の岩原村を事例に、石切と呼ばれた職人たちの活動について紹介する。
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5.江戸時代の村社会と大谷石の墓石利用 /坂本達彦(國學院大學栃木短期大學教授)
近世社会の身分制社会にあって、岩原村では、遺体の入った棺桶を一時的に置いておく殯(もがり)の時の棺台(かんだい)に家格を確認できる。本稿では、この慣例の変化について紹介する。
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